Mori Cafe プロローグ FL #4
911から9ヶ月後には、私たちはフロリダに移動していた。
親戚も友達も一人もいないフロリダになぜ??
今でもあの時の事を考えると、どうかしていた。としか思えない。
唯一の理由は、旦那の会社の支店があったという事だったが、当時どこからでも仕事ができていたので、別に会社の支店があるところでなくても良かったのだ。。。
なぜ、あの時、ハワイとかせめて、同じ南国でも日本に近くなるようなところにしなかったのだろう。
いや、そもそも、私は南国なんかにはとんと興味はなかったのだ。
彼が、もう都会では暮らしたくない。という意向だったので、シアトルやサンフランシスコも却下になっていた。
フロリダに引っ越してから何度、失敗した。と思ったか数えきれない。
私は、完全にNYを引きずって生きていた。
灰色のNYから、逃げてきたのだが、フロリダにいても私の心は、輝く太陽とは裏腹に灰色のままだった。
それでも、人生は続くもので、私は主婦をしながら、メイクアップの仕事もちょこちょこと、やり始めたりもしていた。
けれど、やはり、NYが恋しいという気持ちは日に日に募り、何年かたった最終的には旦那に頼み込んで、NYと(といっても、マンハッタンはやはり無理で、ジョージワシントンブリッジを挟んだハドソン川の向かい側フォートリー、NJ)とフロリダを行ったり来たりする生活をするようになった。
フロリダにいる時は、マイアミまで仕事をしに行くことが多かった。
私たちの住んでいるところからだと、渋滞なしで50分から1時間くらいの距離だ。
マイアミの仕事は、多くが、海と輝く太陽、そして、サウスビーチのナイトライフ、という雰囲気を求められる仕事が多かった。
おしゃれなサーファーの髪型を作るのに、霧吹きに海水を入れて、ヘアーワックスと混ぜたりとか、色々とビーチ仕様の技なんかも学んだりして、面白かった。
NYでは、結構大きなアーティストのアシスタントに就く仕事が、多かった。
Vogueの表紙の撮影でアシスタントとしてハンプトンに行ったこともあった。その撮影の事は今までのメイクアップアーティストとしての仕事の中で一番印象に残っている。フォトグラファーは違うかもしれないけれど、Vogueくらいの雑誌になると基本的にみんなタダ働きだ。
もちろん、雑誌に名前が載る!その写真がポートフォーリオの最大の武器になるのだ。そして、大口の仕事が入る。それが一番の目的だ。
だから、みんな、妥協しない。もちろん、どんな仕事も妥協はしないのだけれど、大口のお金になる仕事は、スポンサーの鶴の一声で、どんな事でも、アーティストの意思とは裏腹に変えなくてはいけない事もたくさんある。
みんなで、最高の物を作る。という空気が満ち溢れている現場だった。
印象的だったのは、男の子側のメインのモデルが、イタリア人で、全く英語が話せなくて、撮影が始まるまでは、大丈夫かな?この子。。。というくらい挙動不審だったのが、カメラの前に立った途端、顔が変わって、こっちがドキドキするくらいの眼力で彼とカメラの間に気持ちの良い緊張感ができたの瞬間を観れた事だった。
その時まで、その子がメインのモデルだとは気がつかなかったくらいだ。
マンハッタンから、バスで移動している間は、他のモデルの方がかっこいい。と思っていたくらいだ。
本物って、やっぱり違うな。。。と思った瞬間だった。
もちろん、モデルでも、いろんなタイプの人がいる。
最初っから、他の惑星から来たのか?っていうくらい、普通の地球人とは見た目もオーラ違うっていうくらい、綺麗な子も見ることが出来た。
(続く。)
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