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Mori Cafe プロローグ NY #3

旦那は私にとって、初めて会った ”結構日本語が話せる外人” だった。

 

私に会う前に7年ほど東京に住んでいたという。

 

何かと楽だな。。。と思った。

日本人でもないけれど、日本を知らない外国人でもない。日本語で話してもいいし英語で話してもいい。中途半端な馴染みやすさがありがたかった。

 

2001年の9月11日の朝。私はミッドタウンの私のアパートから彼のローアーイーストサイドあるアパートに地下鉄で荷物を運んでいた。

 

地下鉄を降りて地上への階段を上がって行く途中、何人かの消防士とすれ違った。みんなかなり急いでいた。

地上に出ると、目に見える全ての人が立ち止まって同じ方向を見上げていた。

 

私は最初誰かがビルの屋上からでも飛び降りようとしているのではないかと思った。

 

私の位置からはどうなっているのか見えなかったので、ビルの角を曲がると、ツインタワーの片割れの途中から煙が出ていた。

 

なんて事だ!と思った。なんて事だ!とびっくりして、2−3分は眺めていたが、もともと戦争経験もなく、大きな災害といったら、幼稚園の時に当時の私の足の膝くらいまで、実家の裏の川が氾濫して洪水になったことくらいしかなかった私は、完全に平和ボケの思考回路しかなく、煙の上の人どうなるんだろう。。。ヘリとかで助けられるのかな。。と思いつつも、1週間ほど前から、買おうか買わまいか迷っていた、CDラックをもう一度見に行こうと前の日から決めていたソーホーのお店足を運ばせていた。

 

そのお店に行く途中に最初のタワーが崩れた。

 

その瞬間、その辺りにいた半分くらいの人たちが叫んだり、泣き出したりして、タワーとは反対方向に逃げ出す人が出てきた。

 

さすがに、私もこれはやばい。。。と思い、彼のアパートに向かった。

それから、3−4日はツインタワーから大量の煙がで続けていた。

 

私たちは、タワーから3キロくらいしか離れていなかったので、窓を閉めていても煙かったくらいだ。ただ風向きが幸いなことに南東に向かって吹き続けていたので、直接煙が来ることはなかった。

 

しかし、煙だけでなく、街のエネルギーも灰色になっていた。多くの人が体調不良になっていた。私も、風邪のようなものを引いた。

その頃のNYは私の記憶の中でも、灰色の後継としてしか思い出せない。。。

 

いたるところに警官が立っていて、道路を横断するのにも、身分証明書を見せなければいけないところもあった。

 

仕事も再開のめどがつかないし、テレビや電話なども繋がらない状態でもあり、かといって、シティーの中で、遊ぼうという気にももちろんなれず、これはちょっと離れて離れてみよう。ということになった。レンタカーで彼の家族の別荘がニュージャージーのロンクビーチアイランドにあったのでそちらに週末旅行に行くことにした。

 

マンハッタンを離れた途端に、エネルギーが変わった。空が、灰色から青に変わった気がした。NYを後にしてホッとした感覚を味わったのはその時が初めてだった。

 

そして、ホッとした自分が悲しかった。

 

(続く。)

 

読んでいただき有難うございました。

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