Mori Cafe プロローグ Change #7
私は、息子が生まれてからも、メイクの仕事には戻らなかった。
移動が常な事にも、ちょっと疲れてきていたし、何よりも息子と一緒にいたかった。
でも、ニュージャージーにいた時は友達が日本語の図書館を経営していた関係もあって、そこで、たまにメイクの教室なんかをやらせてもらっていた。
基本は子育て、たまに息抜きも兼ねて、お仕事。いい塩梅だった。
しかし、状況は刻々と変化していくものだ。
まず、旦那の仕事があまりうまくいかなくなり始めていた。
それに伴い、フロリダとニューヨークと両方の不動産をキープするのは難しくなった。
実は、子供ができてから、(ニュージャージーの方が日本語学校などもあるしハーフとして育てるには良い環境なのではと思っていた。)フロリダの方は売りに出してみたことがあった。
でも、なかなか売れずに、市場にずっと出しているのは良くないという事で、引っ込めていた。
そして、今度は、本格的にどちらかは売らないと、ということになり、私たちは、両方のアパートを同時に売りに出した。
そうしたら、ニュージャージーの方が2週間もしないうちに売れてしまった!
NYに振られた気がした。。。。
それと同時に、そういう事なのか。。。。というみょーに納得にも似た諦めた感情も湧いてきたのを憶えている。
そして、私はフロリダのフルタイムレジデンスに逆戻りしてしまった。
都落ちである!
しかし、小さい男の子を抱えた母は強くなっていた。
ニュージャージでもそうだったのだが、私は、シングルの時から、友達はみーんな揃いも揃ってシングルの方達ばかりだった。別に選んでいるわけではなかったが、周りにフロリダもニュージャージーも含めて、子持ちのお友達は、たったの一人しかいなかった。
なのに、子供ができた途端にどこからか、ネットワークがぐっと広がり、いわゆるママ友がどさっと出来たのである!
これは、本当に助かった*
何せ、親戚が近くにいない海外での子育てである。
みんなで、色々と相談できる事が何とありがたかったことか。
また、どんなに愛しているとはいえ一日中赤ちゃんと遊び続けることもできないので、
遊びが仕事の赤ちゃんにとっては、他のベビーと遊べる事は絶対に必要だったと思う。
そして、もともと、フロリダは日本人が少なく、息子以前は1人しかいなかったお友達も息子と一緒に戻ってきたら、あっという間に日本人コミュニティーの中に入れて、素敵なお友達がたくさんできた。
良いお友達にも恵まれて、この頃から、私は本格的に心も体もフロリダンとなってフロリダを楽しむようになっていった。
(続く。)
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